本当に良い映画だった。(20240302鑑賞)
現在の何気ない生活は、すでに最高の日々なんだという大切さを改めて思い出させてくれた。
貧しい日々を送る主人公は、とても楽しそうだった。
毎朝起きると、布団を片付け、歯磨きをし、植物に水をやる。
玄関前で、手に取るものも決まっている。
狭く、古い家のなかで、植物を育て、文庫本の書棚があり、カセットテープで音楽を聴く。
仕事には自分のこだわりを持ち、仕事終わりには開店と同時に銭湯に行き、なじみの居酒屋で食事をする。
休日では、文庫本は1冊買う。日々撮りためた写真を現像しにいく。
押し入れには、月ごとにこれまでの写真が納まっている。休日にいく用の酒場もある。
主人公は、自分のコントロールの範囲内で、自分の手が行き届く範囲で好きなことをして生きている。
自分の日々の生活のなかでも、見逃してしまっている幸せをしっかり見て、感じるようにしたい。
身の丈に合う幸せを大事にする。自分の守備範囲や線をしっかり守っている態度。
そういえば、主人公には現代のSNS界隈のような承認欲求は特になかった。
自分は20代はどんどん自分の欲望や給料を上げるために頑張り、生活水準を上げたり、仕事の範囲を広げることにこだわってきた。
何か成長するためには、現状の外に目標を置き、目標達成のために頑張ることが正しい。しかし、同時にすでにある幸せにも目を向けるようにしたいと思う。
自分は現在31歳で、仕事のストレスもあまりなく週3在宅で、将来やお金の心配もない。にもかかわらず、外資系本社の役員になる目標のため、MBAを取ろうとしている。
足るを知るを体現しすぎると、現状維持となる。目標達成や未来に目を向けすぎると、既にある幸せを享受できなくなる。
自分としては、未来志向であることは良いことであるし、自分らしいと考えている。
未来志向でありつつも、日々の既に存在する幸せを意識し、それを楽しみ、感謝できる人間でありたい。
何か頑張りすぎたり、自分のキャパオーバーとなっていると感じた場合は、いつでも自分の手の届く、コントロールできる範囲に立ち返ることのできる人間でありたい。
偉人が最終的に田舎の草庵の4畳半で余生を過ごすことがあるが、こういうことなのかもしれない。
既に、毎日は最高で、世界は幸せにあふれている。
同じようなルーティーンの毎日でも、細かなところに変化があり、その変化を捉えられると毎日は楽しくなる。
変化を捉えるためには、自分のコントロール可能な範囲を超えないようにすると良い。時間や金銭に余裕がなくなると、変化を楽しむ余裕がなくなる。
主人公は昼休み、毎日同じ神社の木陰で木々の写真を撮っていた。いつも見ている風景にも、1日1日変化がある。
主人公は朝家のドアを開けると、空を笑顔で眺める。今日は何が起こるのか楽しみにしているようだ。
自分が決めたルーティンを守ることで、朝ドアを開け家から出るときにはすでに、日常の変化を受容する準備ができているということだ。
「時間と金銭の余裕→日々の変化を楽しむ、感謝する、受け入れる」